香川県の「IT分野の専門家」をご紹介するWEBマガジン
今回ご紹介するのは、現在、香川県三豊市を拠点にしている岩倉洋平さん
岩倉さんをご紹介する肩書き、教えてください?
え!? 肩書とか仕事って聞かれると、困るな・・・主夫(笑)?
・・・
・・・
・・・(沈黙)
「パラレル実務家教員」ということにしましょうか!
―パラレル+実務家+教員、この3つがくっついた感じですか!?
要するに、「いくつもの仕事をこなされている方」ということで、いろいろとお話を聞いていきたいと思います!
IT分野の仕事に出会う
―ご出身と、ITに関わっていくことになるきっかけあたりから、お聞かせください。
出身は千葉です。
中学生で進路を考え始めた時に、中卒で大工になろうかと考えたんですよ。
とはいえ、周りの説得もあり、高校、出来たら大学は行っておくように言われて、それなら一級建築士を目指そうと考えました。
結局、千葉工業大学の工学部工業経営学科(現:社会システム科学部経営情報科学科・PM学科・金融経営リスク科学科)に進学しました。
今思えばですけど、「残っていくものを作る」ということに、漠然と憧れていたように思います。
―「残っていくもの」って幅が広いように思いますが、大学、そして就職の中で、その形も自分なりの形を見つけていくわけですね!?
2001年春に大学を卒業しました。
この頃、ちょうど「これからIT来るぞ!」という時代だったんですよね!
将来的には、漠然と独立することも考えていたので、IT分野で「幹部募集」、「新規事業立ち上げ」のキーワードのある会社を中心に就職活動に取り組みました。
―新卒の仕事はどのようなものになったのですか?
本社が大阪あった「ナニワ計算センター」という会社に就職しました。元々公共団体を主にしたデータ入力を担っている堅い会社だったのですが、ちょうどこれから東京を拠点にITソリューション事業を拡大していくという枠での募集があり、そこを狙っていました。
システム構築の分野で大手電機メーカーに派遣になり、海外駐在も経験させてもらいました。
入社4年目では、メーカーで携帯通信制御の開発担当となり、次世代のハイスピードモデルのシステム構築に1年間携わりました。
そして、入社5年目頃、大阪に転勤になりました。
―大阪では、また人生の転機がいろいろとあったんですよね!?
大阪では、携帯向けの動画配信事業に関わりました。今では動画はSNSでも主流となりますが、2006年当時はまだ、20秒くらいの動画しかつくられていない時代に、2時間の動画を作るというチャレンジを大手機器メーカーと組んで企画開発に取り組ませてもらいました。
そして、大阪に赴任して1年したくらいで、今の妻と出会ったことは大きかったですね!
香川への移住
妻の出身が、現在住んでいる香川県三豊市(当時は三豊郡)。妻と一緒に何回か香川に来ることになり、海も山もある自然豊かな景色に「いいな!」と思うようになりました。
当時趣味だったスケボーができるパークも近くにありましたし、未来の夢に思っていたヨットも、香川なら夢じゃないかもと、いろんな希望が持てたことも大きかったですね。
―香川に住むことは、いつごろから考えだしたのですか?
2008年夏に、それまでお世話になった会社から委託業務を受けながらも、独立をしたのですが、その秋、リーマンショックがありました。
日本経済が変わったと感じた瞬間に、大阪にいる意味を感じられなくなって、豊かさと可能性を感じていた香川に移住することを決断しました。
「香川にIT市場はない!」「家でなんしょんな?」からのスタート
―香川移住はスムーズにスタートしましたか?
まず、香川に移住すると周りに伝えた時の反応は、
「香川にIT市場はない! 経済は死んでいる!」
という痛烈な言葉の数々でした。
とはいえ、何かできることはあるだろうと思い移住し、大阪の会社員時代からのつながりで引き受けた仕事を中心に自宅で仕事をしていました。
すると、周りからは
「家にこもってなんしょんな? 働いとるんか?」
という評価!
なかなか厳しいスタートだったと思います。あ、讃岐弁が分からないという言葉の壁もありました。
結局、最初の数年は、香川でITにつながる分野に人脈もつながりもなかったので、大阪会社員時代のつながりの仕事を引き受けて、平日大阪、週末だけ三豊という2拠点生活を中心にしたスタートとなりました。
―私も同じ移住組なので、周りの人たちとの関係が生まれるまでしんどい時ありますよね・・・。でも、住んでいると、必ず人との出会いが生まれてきますよね!?
2010年夏に高松で「100人ビアガーデン」という異業種交流会に参加しました。そこで様々な人と出会いがあり、香川ならどこでも働いていけるんじゃないかと可能性を感じました。
この経験を機に、2011年に東京大学で開催されたAndroid(アンドロイド)スマートフォンのイベントにエンジニアとして参加しました。当時、アンドロイドは新しいアプリケーションを開発することへの敷居が低く、学生でも自由な発想で面白いアプリを開発することができる空気感があって、チャレンジすることの楽しさを教わりました。
同じころ、高松につながりが作れたらということで、香川産業支援財団へ相談に行き、春からITスクエアを借りました。高松で同じように働くビットコミュニケーションの川西さんなどとのご縁もあり、香川でのIT分野の営業にも動き始めました。
―少しずつ出会うべき人に会い、新しいものが生まれていったんですね!
そうですね。香川県内でも、少しずつIT分野の仕事を依頼してもらえるようになり、2012年9月、株式会社ザムウを設立して、起業しました。
最初の事務所は高松、そして次に宇多津に事務所を構えていましたが・・・
ようやく三豊市山本町に光回線が通ることになり、正式に事務所を妻の実家でもある三豊に移すことができました! これで、自宅兼事務所で、思いっきり仕事ができると嬉しかったですね!
企業、そしてIT専門家だけではない新しい学びの道へ
―岩倉さんには、IT専門家という顔と、最近は「大学講師」という一面がありますが、そのスタートもこの頃からですよね?
2015年、宇多津にある香川短期大学の非常勤講師を依頼されました。
経営情報科の学生に向けて、卒業後すぐに活かせるIT技術ということで、エクセル、ワード、パワポ、簿記システムなどの使い方の指導を求められることが多いのですが、その中でもスマートフォン開発の演習講義を担当することになりました。
より専門的なシステム作りであれば、高専や専門学校が良いです。ただ、「オフィス系でもアプリ開発経験がある」「社会に出てすぐに活かせる」「ITの専門分野に興味がなくてもシステムを使いこなせる」という人材を育成するところに需要がありました。現在求められているデジタル人材の走りですね。
とはいえ、大学で教えるようになって、自分のその時点での経験値だけでは足りないことがたくさんあるなということにも気が付くきっかけとなりました。
―なるほど! 新しい出会いから気が付くことがあったんですね!
学生たちに、「これくらいの資格を取って卒業できるといいね」と指導していたので、自分も何かにチャレンジしようと思いました。
まず、2016年にITコーディネーターを取得しました。実は、妻も同じタイミングで取得したのですが、夫婦での取得は全国初だったんです!
この資格は、今携わっている他の仕事に強いつながりを作ってくれました。
続けて2018年、香川大学大学院地域マネジメント研究科(夜間2年)にも通い、修士を修了、さらに基本情報処理技術者(FE)、応用情報処理技術者(AP)という国家試験に合格しました。
大学院の2年間では、「経営者としてこれからどう生きるのか?」ということについて、徹底的に学びなおせたと思っています!
―大学で教え始めたことから、逆にご自身への学びが大きく返ってきた感じですね!
修士課程を修了し、2020年4月からは、香川短期大学の専任講師となりました。非常勤時代とは異なり、自分の専門外のことについても学生をサポートしていくことになったので、大変だなと思うこともありますが、学生たちのこれからについて一緒に考えるやりがいのある仕事だと思っています。
同年の2020年7月には(独)中小企業基盤整備機構四国本部にて専門家派遣のアドバイザーを拝命しました。先ほど話したITコーディネーターの資格と、大学院での修士論文の研究テーマがこの機構での活動内容に非常に近いものだったんです!
―IT分野を軸に、岩倉さんだけの仕事が生まれつつありますね!
香川で暮らし始めて、地域活動を行う「まちづくり推進隊山本」の活動をICT分野からサポートさせてもらうこともありました。地域にも、ICTを取り入れればまだまだできることがあるなと感じていましたし、そういった分野のことを教えることをし、地域貢献xICTという働き方を通じて、いろいろな人の可能性が広げられたらよいなと思っています。
移住して10年以上となり、今思うこと
―移住して10年以上が経ちましたね! 厳しいと言われた香川でのIT分野の仕事について、今はどう見ていますか?
移住のきっかけとなったリーマンショック、2011年の東日本大震災、そして国内、世界でも続く環境や価値観の変化・・・、こういったことを通じて、生き方や働き方が変わってくる時代になってきたなと感じています。
不便とか、情報がないと言われる香川にいたからこそ、一度情報が遮断されていたからこそ、本当に必要な情報やシステムは何だろうと考える時間が取れました。そして、「不要」とか「不便」「効率が悪い」とみえていた情報が、実はビジネスチャンスなのかもしれないという視点を持つこともできました。
―視点が180度変わるほどの経験を香川でしてきて、そして今の生き方・働き方にたどりついたのですね! これから、未来につながる働き方にイメージはありますか?
今住んでいる三豊市の家の周りには、自然があり、地域活動でビオトープ作りを手伝ったりしています。30代は今住んでいる香川にしっかり定着して、仕事と並行して自分の生活を作っていくことに向き合ってきました。
これからの40代は、自分が育った千葉や東京にも、活動拠点を持てたらと、今動き始めたところです。
そして、さらに年を重ねながら、香川により深い定着をしていけたら・・・と今は考えています。
―ありがとうございました。
パラレル=自分の会社でのIT関係の仕事の他に複数の業種をこなしていること。
実務家=実務経験を有したうえで大学教員として採用された教員
(https://www.jst.go.jp/tt/journal/journal_contents/2021/12/2112-08_article.html)
教員=香川短期大学での専任講師
最初に伺った、岩倉さんの肩書の意味が、わかりました!
そして、IT分野を通じて、地域や人材育成につなげるために、ずっと勉強していくのだという前向きな姿勢に、明るい未来を感じました!
岩倉洋平(いわくらようへい)さん
新卒で大阪のIT企業に入り、携帯通信事業などにかかわる。その後香川県に移住し香川短期大学の講師など複数の職をパラレルにこなしている。