西讃発、気鋭のWebデザイナー・辻佑馬さん(株式会社sovie)

今回は丸亀からイケてるWebデザインを多数世に送り出しているアートディレクター・デザイナーの辻佑馬さん(株式会社sovie 代表)を訪ねました。

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実績を拝見すれば、素敵なWebデザインの数々。

事業者ならついデザインを依頼したくなってしまいますね。

どのような経緯でデザイナーになり、どんなお仕事をされているのか、お話を伺いました。

目次

デザインとの出会い

ー ご出身はどちらですか?

今まさに父母ヶ浜で賑わう三豊市の仁尾町というところです。

昔は、今みたいな観光地にはなっていなくて、綺麗な海と少しの山に囲まれた町で、超田舎で育っています。

ー デザイン系やWeb系にはいつ頃から目覚めましたか?

僕の場合は、Webよりもグラフィックデザインからこの世界に入りました。絵を描いたりするのは小さい時から好きでしたよ。

小学校や中学校の頃は野球をやっていました。キャプテンもやって、結構本気でしたよ。でも中学3年の時に、総体前にコーチなどと馬が合わず辞めちゃったんですよ。で、キャプテン不在の総体になりました(汗)

部活を辞めてフラフラしたところ、担任で美術の先生が、「美術部どうや?」って誘ってくれたまして、そこで最後の数ヶ月は美術部に入りました。

そこで描いた作品が結構大きな賞を獲って、その先生が「美術の道に進まないか」ってまた誘ってくれたんです。それで、善通寺第一高等学校のデザイン科に進学しました。

ー 西讃にもデザインを学べる学科があったんですね。

はい。そして、一応共学だったんですが、クラスメイトのほとんどは女子で、なかなか馴染むのが難しかったです。ライトな芸大みたいな雰囲気でしたね。

そこで色々とデザインの基礎を学びました。そしていち早くデザイナーになりたいなって思うようになったので、大学進学は考えなくなったんです。

ー デザイン科の進路では、大学や専門学校への進学と、就職ではどちらが主流ですか?

進学ですね。さすがに今の時代、高卒での就職はなかなかなくて、就職する人は少ないです。その就職する子たちもデザインで就職するわけではなくて、普通の会社に入ったりというのが1割ほど。残りは専門学校と大学が半々といった感じです。

その中で、僕は早く就職したかったのと、東京へ行きたいとは思わず地元でやりたいなということで、県内の専門学校に入ったんです。

地元で都会に負けず頑張りたい

ー 地元に残りたい理由は何だったんですか?

うちは兄弟がめっちゃ多いんです。テレビの大家族の番組に出た事があるくらい。

僕は6人兄弟の末っ子なんです。上の兄弟たちは、みんな東京や大阪に出てしまっていて、一人くらいは残らないとねって思ってました。

ちなみに、実家は現在「大家族宿 辻家」として最近オープンしました。もちろんこのWEBサイトもデザインしています。

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ー 卒業後はどのようにキャリアをスタートしたのですか?

東京では負けないくらいにやりたいなと思って就職しました。学校からも進められたし、優秀な先輩も行っていたので、良いところかなと思ったんですが…

いざ就職してみると、クライアントのメインがパチンコ屋さんだったんですよね。

僕が大事にしていたシンプルで的を得たデザインができる職場ではありませんでした。

むしろ逆で、ゴチャゴチャしてて、雷と炎ばっかりみたいな・・・。

そういうデザインをしていたら(クセがつくので)デザインが下手になるなと思って、半年くらいで辞めました。

とにかくデザインがうまくなりたいと思って、いろんな人に紹介してもらったりして、とあるデザイン事務所に挨拶に行ったんです。

「今、こういう状況で、絶対デザインが上手くなりたいんです」みたいな感じで、老舗のデザイン事務所に挨拶に行ったんですけど、そこでフォートポリオを見せて、「こういうのを作りたいわけじゃないんですけど、デザインが上手くなりたいんです」って話をしていたら、後日連絡が来て、「うちだったら面倒見てやってもいいよ」って言われたのが、僕が育った猪子デザイン研究室なんです。

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香川でいうと大御所なんですよね。昔名立たる仕事をしてきたところで。要潤のうどん県とかの仕事もそうですし、そういうのをさせてもらっていたんです。40年間やってきてたので、昔ながらのやり方も、デザインの歴史がすごくあるので、そういう伝統的なことも学んだし、本当に師弟関係で大変でしたけど、ビシバシ鍛えられましたね。

Webとの出会いと独立

ー Webはどのように学んだのですか?

そこで5年くらいやって、20代半ばになってきたときに、社長から「お前若いんだからWebとかやってみろよ」みたいに言われたんですよ。

分からないなりに、知り合いとかに聞きながらちょっとずつ学んでいきました。グラフィックを学んでるので、デザインは大体できるんですが、Webの仕組みとかページネーションの話は分かんないので、手探りでやっていました。

それが、他のWebばっかりやっているWebデザイナーとは作ってるものが違ったんでしょうね。このデザイン面白いねって評判が広まって、どんどんWebの仕事が増えていったんですよ。

そうなると、売り上げがどんどん増えてきましたし、Webもグラフィックもできるってなると、トータルで何でもできるようになってきたんですよね。

ー そこから独立へとつながっていくんですね

Web系の人脈もどんどん増えていったし、そういう人たちがどんどん僕に依頼をしてくれるようになりました。

個人指名で入ってくる仕事が増えたので、これは独立するタイミングかなと思いました。ほとんど自分の判断で仕事ができてたので、すんなりとスライドするように独立できたって感じですね。5年前に26歳で独立しました。

僕は中学生の時からなぜか社長になりたいっていう夢があって、自分の力でやっていきたいっていうのはずっと根底にありました。

だからこそ小さな組織で全部自由にやらせてもらって成長できました。

大きい組織だと全体が見えないし、自分のタスクだけやってればいいみたいな風になるんですね。でも小さい組織だとすべての責任を負うので、会社員なんだけど独立しているのに近い状態でした。

見積もりからスケジューリング、スタッフの手配とかもやっていたし、膨大な仕事に追われて家に帰れないことも多々あって大変だったんですけど、モチベーションが高かったのは、独立したいというモチベーションがすごくあったので、やっていけたといいう感じですね。

ー その独立の仕方だと、独立後に仕事がなくて困ることはなかったでしょうね。

はい。すぐにとても忙しくなりました。

有り難いことにみなさんお試しでどんどん依頼してきて。

あの子独立したらしいよ、みたいな感じで。

独立すると、人脈がどんどん増えました。

Web系とかも、いろんな飲み会とかやっていたので、積極的に行くようにしていました。

ー リアルなつながりが多いようですが、実際にお客様も県内の方が多いですか?

そうですね。香川県のお客様が多いですね。

コロナになってからは、県外からも問い合わせが少しずつ増えてきました。それでも全体の1〜2割くらいですね。

ー コロナの影響はいかがですか?

コロナで仕事の総量も増えました。

業界的には、二極化していますね。

このオンラインでの仕事のやり取りに対応できた人たちが売上を伸ばして、そうじゃない人は売上が落ちた構造です。

コロナになって紙媒体の仕事がWebにシフトしたというのもあります。外に出て人と合わない生活になったので、ポスターなどの印刷物の需要が減りました。

そして紙媒体に使っていた予算をWebに切り替えたいという話がたくさん来ています。ホームページを充実させたいとか、SNS広告に力を入れたいとかですね。

IT導入補助金もお祭り騒ぎで、本当に一時期は補助金関係の仕事が忙しかったですね。

ー 会社を持ってプレイヤーの頃と役割は変わりましたか?

今は手を動かすことが減って、プロジェクト全体のディレクションの立場で入ることが多くなりました。そして自分のイメージを社内のスタッフに共有し、デザイン制作をやってもらって、社外パートナーのエンジニアにコードを書いてもらうような分担になっています。

ー エンジニアは外注しているんですね

エンジニアは5〜6人のフリーランスと契約していて、案件ごとに発注しています。みなさん県外の方で、会ったことはないんですが、とても親密な関係で連携できています。皆さん会社のホームページを見て応募してきてくれた方たちです。

今は仕事も増えてエンジニアの手が足りなくなってきているので、できれば県内に住んでいて打ち合わせとかに同席できる方がいてくれたらなって思っています。レベル的には、会社のホームページに描いている内容を一人でコーディングできる方が望ましいです。WordPressに少し手を加えるというよりは一からHTML、CSS、PHP、JavaScriptをコーディングできる方ですね。

良いものを作りたい!情熱を持ち、お客様と本気で向き合う

ー ブランディングって、アウトプットはどんな媒体になるんですか?

ロゴとWebサイトと、あとは名刺、封筒、チラシで、目に見えるもの全てですね。

新規事業でこういうことをやりたいんですって相談を受けて、まずロゴを作りましょうという話になり、他は何を作りますか、みたいに展開することが多いですね。

Webサイトは今の時代マストなので、必ず作っています。それから動画を作りましょう、ということも提案しています。

ー ブランディングって、依頼主が「こんなふうに見せたい」というのを持っている場合もあれば、「よく見せたいけど、どんなふうにしたいのかさっぱり分からん」というのもあると思うんです。そのふわっとした要望を具体化していくところに、付加価値があるかなと想像しているのですが、合っていますか?

そこが醍醐味ですし、腕の見せ所ですね。

話を聞いて、より良くまとめあげるのがデザイナーの仕事なので。

しっかりヒアリングして、これだって言うものを提案するようにしています。

今後はさらにマーケティング的な観点も入れて行きたいですね。ここをこうすると売上がこれくらい上がるとか。これまでの経験も活かして感覚だけではない提案をしていきたいです。

依頼は、法人登記をされる前の相談が結構多いです。社名や屋号だけ決まっていて、ロゴが欲しいんです、と。

香川では、僕みたいなデザイナーは少数派なんですよ。多くのデザイナーは広告代理店さんや印刷会社さんが抱えるデザイナーになることが多いです。そうなってくると、ブランディングではなく単発の広告媒体が多くなります。

ー 現場の仕事に誇りを持っていることは大事だと思います。けれど付加価値を高めることに興味がないのはいけませんね。ただクリエイティブができる・・・じゃなくて、ブランディングで単価上げられますとか、マーケティングで集客が得意ですとか。お客さんがほしいのってそっちなんで。

そういう手を動かすだけの仕事になると、景気に左右されますし、あくまで下請けなので、僕はそれを結構早い段階で辞めたいと思っていました。お客さんと本気で向き合って、いい物を作るのが、楽しいですよね。

どうにかデザインで返してあげることは、心掛けています。それでもどうしようもないものはお断りするしかないんですけど(汗)

とにかく安く適当にパパっと作って欲しいみたいな依頼は、そもそも価値観が違い、長くお付き合いができない可能性が高いのでお断りしています。同じ熱量、価値観のある人とやらないといけないと思います。

ー 5年後10年後に、こういう会社にしたいという希望はありますか?

僕もフリーランスを経験して、1人でできることは本当に限られていて、できるだけチームでアイディアを出していった方が、よりいい物ができると思っているので、チームではやりたいと思っています。

ただ、会社が大きくなってしまうとデザインの細かいクオリティチェックができなくなるので大きくしたいとは思っていないし、Maxでも5人までかなと思っていて、目が届く範囲で、みんなでアイディアを出し合えるような関係でいたいと思います。もっともっと、クオリティを上げていきたいです。

お話をされた方

辻佑馬(つじゆうま)さん

株式会社sovie 代表

善通寺高校デザイン科で学んだ後、地元香川県で有数のデザイナーの元で経験を積み独立。

https://sovie.jp/works/

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